サラゴサ条約(2007.05.17)

   ここのところペースが落ちていたので、いつになることかと思っていたが、ついに第50話を迎えることになった。何かそれにふさわしい話題を書きたいと思っていたが、最近まで目の回るような忙しさ。3月初めから、スペインから大学院生が共同研究のために来日し、2ヶ月の研究期間が過ぎて、先週金曜日に帰国の途についた。その翌日の土曜日が、大学院入試説明会と見学会だった。広報担当の私はその責任者だった。やや不満は残る結果となったが、無事に終了し、ようやくほっとしているところである。書き物をする時間的余裕も少しながらもてるようになった。
    冒頭に述べたように、先週まで、スペインから研究者が来ていたので、それに関連した話を記念すべき第50話として書いてみようと思う。話は1年ほど前に遡る。サラゴサ大学のサンチョ博士からメールをもらった。ポスドクだった奥野君が発表したFtsHによるアポフラボドキシンの分解に関する論文についての丁寧なコメントだった。サンチョ博士のグループは、フラボドキシンの安定性やフォールディングについて長年研究している。最近の総説のpdfファイルが添付してあった。お礼のメールを書いて送った。それから、半年が過ぎた9月にまたメールをもらった。そのメールには、こう書いてあった。「私の学生、サラ・アユソが、来年そちらの研究室で、私たちの分離したたくさんの変異フラボドキシンのFtsHによる分解を試してみたいと希望しているが、受け入れていただけるでしょうか? それに必要な渡航・滞在費を申請したいと思っていますが、その申請の締切りが今月末なのですぐに返事が欲しい」。実験計画の概要を書いたファイルが添付してあった。技術的に難しい実験は無いが、すでに奥野君が京都薬科大に転出していたので、どうしたものかと考えた。彼らと私たちの興味の観点が違うので、予定している実験からもたらされる知見がどのようなインパクトがあるのかもにわかに判断しにくいことも決断を鈍らせた。
    以前、似たような共同研究の申し出を経験している。カッティング博士から枯草菌のSpoVMというタンパク質をFtsHで分解してみてくれと頼まれたときのことだ。何度かメールをやり取りし、私の方は「枯草菌のタンパク質を大腸菌のプロテアーゼで分解して、何か面白いことが分かるのか?」と、実験の勝算も発展性も分からないうちに、カッティング博士は強引に試料を送ってきたので、とにかく実験せざるを得なくなった。始めはうまくいかなかったら、そのデータを送り付けて「残念ながら、このような結果しか得られませんでした」と書いて送るつもりが半分以上だったが、結局その後3篇の論文を発表する研究へとつながった。そんなこともあり、研究には意外な展開や予想もしない進展がときどき起こるので、そういうチャンスは活かしたいと思った。ポスドクの錦織くん(コリさん)に相談すると色よい返事、奥野君も京都からメールなどでサポートできるでしょうということで、サンチョ博士に受諾の返事をした。それから、申請に添付する同意書をすぐに送った。
    待つこと3ヶ月。年の瀬も押し迫った27日にサラからメールが届き、申請が受理されたと知らされた。年が明け、彼女は実験に使うタンパク質試料の調製に追われ、こちらも外国人研究員の受入手続きや大学の国際交流会館(外国人寮)を仮予約したりと、慌ただしく日々が過ぎていった。
    これまで、スペインは3回訪れているが、サラゴサはまだ行ったことが無い。日本人が観光で訪れるのは、マドリッドとバルセロナ、トレド、セゴビア、バレンシアなど。サラゴサはちょっと思いつかない。地理・歴史でもサラゴサを思い出す人は稀だろう。サラゴサを検索すると、「サラゴサ条約」という項目が見つかる。1529年にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約で、これを説明するには、1494年に結ばれたトルデシリャス条約から話す必要がある。時は大航海時代。二大海洋帝国、ポルトガルとスペインは、アフリカ、アジア、新大陸(アメリカ)の覇権を争っていた。イベリア半島の最後のイスラム拠点グラナダの攻略に手間取ったスペインは、ポルトガルの後塵を拝する結果となった。グラナダ陥落の年1492年、スペイン女王イザベラが援助したコロンブスがサンタ・マリア号で大西洋を渡り、「インド」に到達して帰還した。コロンブスを突き動かしたのは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』で紹介された黄金の国ジパングであった。これを受け、海外進出競争が一層激しくなった。そこで、ヨーロッパ以外の新領土を分割する取り決めが必要になり、スペインは教皇アレクサンデル6世に働き掛け、1493年に大西洋のほぼ真ん中に教皇子午線が設定された。その結果、教皇子午線より西に発見される非キリスト教の土地をスペインが、東をポルトガルが得る権利を与えられたが、ポルトガルはこの決定に不満で、スペインと直接交渉の揚げ句、教皇子午線を西に800マイルほどずらすことで合意し、スペインのトルデシリャスで条約を締結した。これがトルデシリャス条約。この条約については、世界史で習った記憶がおぼろげにある。結果的には、ポルトガルの粘りは功を奏した。1500年に発見されたブラジルがこの条約の子午線より東にあったので、南米大陸で唯一のポルトガル領となったのである。  さて、トルデシリャス条約で設定された境界線をぐるっと地球の裏側まで延長すれば、原理的にはアジアの境界線も決まることになるが、当時の地図がそんな精度で作製されている筈も無い。そもそもコロンブスが発見した新大陸もコロンブスの計算では、インドに他ならず、それほどに近いというとんでもない勘違いをしていなければ、西廻りでインドに到達するなどという無謀な航海に旅立つことは無かったと言われている。そんなわけだから、アジアの境界線がどこかなんて正確に決められるわけが無い。案の定、次第にトラブルが生じてきた。実は、現代の正確な地球儀の上で、トルデシリャス条約で設定された境界線を延長すると、ちょうど西日本を横断する。つまり、1600年、東西に分かれて関ヶ原の戦いで戦国時代が終わりを告げたが、それより1世紀以上も前に、世界史においては、日本は東西に分割され、スペイン領とポルトガル領になる取り決めがなされていたことになる。もちろん、まさに「机上の空論」に終わったから、日本はどちらの領土になることも無かったが、ほんのわずかの運命のいたずらで、笑い話では済まなかったかもしれないのである。それは、フィリピンの歴史を見れば一目瞭然である。
    香辛料の一大産地だった東南アジアのモルッカ諸島の帰属をめぐって衝突したポルトガルとスペインは、アジアの境界線を確定する必要が出てきた。両国は、1529年にアジアの境界線について交渉し、モルッカ諸島の東に子午線を確定し、「サラゴサ条約」を締結した。これによりデマルカシオン(世界分割)が完成した。サラゴサ条約の境界線は、北海道をわずかにかすめる。つまり、この条約によれば、日本はポルトガルに帰属することに決まっていたらしい。しかし、不思議なことに日本よりずっと西に位置するフィリピンはスペイン領となり、その後、長い植民地の歴史をたどることになる。スペインによるフィリピンの植民地化に決定的役割を果たしたのが、マゼランだった。
うなどん    サラゴサ条約締結から、およそ500年の月日が流れ、ひとりの大学院生がはるばるスペインのサラゴサから熊本にやって来た。ドイツや北欧などヨーロッパの中は行ったことがあるが、日本はもちろん、アジアは初めて、アメリカも行ったことが無いという。私はサンチョ博士とは面識も無く、メールを何回かやり取りしただけ。したがって、当然のことながら、サラとも、到着の日の熊本空港が初対面。よく来る気になったなあ、と感心。冒険心では、到底スペイン人にはかなわない気がする。たぶん、彼らのDNAには私たちには無い冒険心が書き込まれているのだろう。サラは、まじめで、礼儀正しく、心配するようなことやこちらが困惑するようなことはまったく無かった。熊本に着いた翌日、日用品の買い物に付き合ったが、サラは同世代の日本人ではちょっと今どき見かけないほどの倹約家。鍋を買うにしても深い鍋を一つだけで、フライパンは買わない。食パンは買うが、トースターは買わない。「食パンはどうするの?」と聞くと、鍋に油を引いて焼くのだと。今どき電子レンジでさえ、5千円〜7千円も出せば買える。2ヶ月暮らすなら決して高い買い物では無い。でもそういうものは一切買わない。寮は靴を脱いで部屋に入るようになっているが、スリッパも買わない。
潮干狩り  さて、肝心の研究の方はと言うと、初めてのラボで初めての実験をこつこつとまじめにこなした。残念ながら、思ったほどの成果は得られなかったが、2ヶ月あまりの短期間では、ある程度想定されたこと。共同研究の種が芽生えれば、それを育てることは、いくらでも可能である。サラが学位を取って、ポスドクとして戻ってくるという選択肢だってある。何より、ラボに新鮮な風を送り込んでくれたことに感謝したい。
さら     帰国の前々日に送別会は済ませたので、前日に「荷造りはもうできた?」と尋ねると、「荷造りは簡単だけど、部屋の掃除が残っていて、今夜夜中まで掛かるかもしれない。明日の朝、9時に管理人さんが部屋をチェックすることになっているので」。彼女の飛行機は2時半と聞いていたので、やけに朝早く退去の手続きをするんだなあと思って、聞いてみると、「もし、掃除をやり直すことになったら、時間がなくなるから」と、真顔で言う。さて、当日どうだったかと聞いて見ると、管理人は何も見ないで「はい、いいですよ」と言ったと、ちょっと残念そう。私は、「管理人はさすがに人を見る目があるね。サラの普段の様子を見ていると、わざわざ細かくチェックをしなくても、きちんとしているのをお見通しなんだよ」と。
    サンチョ博士にとって、当研究室は、彼の期待する実験結果=黄金を生み出すジパングの金鉱に映ったのかもしれない。少なくとも今後も友好的な関係が続き、「人脈」という「鉱脈」の発見につながればすばらしい。



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